宮崎 駿 映画「千と千尋の神隠し」の物語を読んで
人は、関係の中で生きている。他人のことはよく見えるが、自分のことになると、意外にわかりづらいもの。
持ち前の性格で突っ走っている時や、事がうまく運んでいる時は、自分自身の人生の物語とか、あまり考えない。
なぜなら今を生き今がうまくいっているから。しかし、ことがうまくいかなくなったり、失敗したり、あるいは思いがけない事態に出くわし困惑した時などは、色々考えこんで自分が不幸に見えたりすることもあろう。
そういう時こそ、立ち止まり、もういちど自分の物語を考えてみるのもいい。
もちろんひとりで考えるのもいいが、そんな時に、自分の物語の再発見の“心の旅”をするのもいい。その再発見の手がかりとして、過去の名作がとても参考になる気がする。
その物語の主人公がどう悩み、どう問題を解決していくか。そして、その中の登場人物たちの関係がどうなっているのか、などと・・色々考えたりしながら、物語を味わっていくと・・不思議と、自分の物語のあらたな面が見えてきたりする。
そんな思いで、「物語と精神医療」を考えているこの頃です。とりあえず、今、注目の物語や、時をこえ語り継がれてきた物語を中心に考えてみました。新たな視点の発見の旅のヒントになれば幸いです。
- 「ジャックと豆の木」は、少年が、母親から自立していく物語としてみると参考になる。
- 「白雪姫と7人のこびと」や、「シンデレラ物語」は、少女や女性の心の成長を考えていくのに新たな視点を与えてくれる。
- 今回は、転校でうつや離人症になった少女千尋がいかにしてたくましく成長していったかというのを、宮崎映画 「千と千尋の神隠し」という物語を通してみていきたい。
●「千と千尋の神隠し」を読んで
主人公千尋はどのようにして生きる力をえていくのであろうか?
あなたは、小学校の時、転校した経験はありますか? あなたは、こころの中で両親を見失ったことはないですか?。
そもそも心とは何か。こころの中で見失うとはどういうことか。
Ⅰ 物語の始まり
この物語の主人公千尋は、ごく普通の10才の女の子。
転校、引っ越しをきっかけに、落ち込み、孤独感から生きる力を失っている。ところが両親は新しい土地に浮かれ気分。よくあるパターンかしれないが・・・。
映画では、引っ越しの途中、車が道に迷いトンネルにぶつかる。そこから一家は不思議な世界に迷い込んでいく。トンネルを抜け草原を渡ったそこには、テーマパークの廃墟の町が。 そこのお店に並んだご馳走に、いきなり食らいつく両親。それを見てただただ戸惑う千尋。
親子の運命はここで大きく変わっていく。心の旅に旅立てるかどうかの踏み絵、あるいは試金石。それはおそらく、魔女湯婆婆の仕組んだものであったろう。貪欲に食らいつく両親の姿は、まさにブタのそれであり、実際ブタの姿に変えられてしまう両親。
こうして千尋は一人っきりで心の旅に旅立たねば ならなくなった。物事を、聖と俗にわけて考えがちな拒食症の子らも、似た経験をするという。千尋は、食べなかった。「向こうの世界では、けっして食べたり 飲んだりしてはいけない。帰れなくなるから」という昔からのいい伝えもあるが・・千尋の無意識がえらんだ知恵?であった。こうして千尋は両親を見失ってし まう。
大切な人を心の中で見失い、孤独感からはじまった千尋の旅。そのこころの旅の途中でい ろいろな人に出会いたくましくなっていく。ハクや、釜爺や、カオナシや、リンとの出会い。そして、何より威圧感のある魔法使いユバーバとの出会いは圧巻で ある。そのユバーバに名前を奪われても、湯屋に留まり、見失った両親を探すため必死で働く千尋。しかし、臆病で泣き虫だった千尋にとって、この旅は、他に もいろいろな意味が込められていた。
支えた少年ハクが、実は幼い頃、溺れた自分を助けた川の守り神だったこと。そしてその 川が、今は埋め立てでなくなり、住む場所がなくなってハクは途方にくれているということ。この旅が、ハクへの恩返しの旅でもあったのがわかる。孤独から出 発して、たくさんの人に支えられ、そして助け助けられ、恩返しもでき、たくましくなって帰ってきた。
旅から戻った時、両親には何事もおこっていない。まさに“神隠し“というような不思議な旅。ハクや、双子の魔女、飲み込んだ人の声を通してしか喋れないという謎の男カオナシなどの登場人物達。
今回、その登場人物達との関係にスポットを当てながら、ユングの考え方(アニマ、アニムス、影など)を援用してこの物語を考えてみた。
興味のあるお方は「民話や神話と精神医療」をご覧下さい。
Ⅱうつ病者もまた、現実の生活で、元気をなくしている。生きる力が弱っている。千尋の心の状態に似ている。
時が止まり、心の流れも止まっている。うつ病者が、喪失と再生のテーマをもっているとしたら、心の中で何か変化の時を迎えたともいえる。
うつ病者は、現実的に、まわりの理解が得られることも、もちろん大事なことであるが、一旦立ち止まり、休養がいかに大事であるか。それは、もしかして、・・ 心の休養の時にこそ、心の中の(千尋やハクやゼニーバのような)助っ人たちに出会うチャンスになるかもしれないから・・。
●ジャックと豆の木
何度も仕事に失敗し、うだつのあがらないジャック。
そんなジャックがいかに成長し、母親から自立していくか・・物語、『ジャックと豆の木』。
母親からの精神的自立、精神的成長という意味で、この物語は、ジャックの『心の成長の旅』・・と言い換えてもよさそうである。
そう言う意味で「ジャックと豆の木」の物語を、今一度、<ジャックの心の旅>ととらえなおして考えてみた。
<3回の旅立ち>を試みたジャック。その3回の意味は一体何か?
ジャックが母親から自立していくためには一体何が必要であったか。
きっかけを作った不思議な老人との出会い。そして、天の巨人の存在、巨人の奥さんの存在、そしてそこから盗みだしてきたもの 金の卵、金のニワトリ、そして最後に盗んだハープ。それが表すものの意味は何か?
なぜ、最初に、金の卵なのか、ハープはなぜ最後なのか? その順番の意味するものは?
物語は見方によって、色んな想像をかき立ててくれる。 自立の旅、『ジャックと豆の木』・・興味のある方は、民話や神話と精神医療をご覧下さい。
●セロ弾きのゴーシュ
ゴーシュの心の旅。登場する動物たちとのやりとり。そのやりとりをゴーシュの夢の中の出来事や、あるいは、ゴーシュの心のながれと考えると、そのやりとりが又、不思議なハーモニーを奏でているのがわかる。
まとめは、もうしばらくしてから記載したいと思います。あしからず。
まもなく更新予定