風の谷のナウシカ

映画『風の谷のナウシカ』を観て

平成16年1月28日
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Ⅰ世界。風の谷の村と風。

平和の村ナウシカの村は、海の近くにあり、ちょ うど地形が谷のようになっていて、風の通り道になっている。そこには海から風が吹いてくる。その風は暖かく、生命を育み平和をもたらす風のようだ。村は小 さく栄えている。このままの平和がずっと続くとい いと願いつつ・・・風に乗って空を飛び、風を使うナウシカ。王の娘だ。だが、その王である父が長いこと 病に伏せている。そのことを思うと、ナウシカはじっとしておれない。ナウシカの父は腐海の近くに長年住んでいたため、植物の発するその毒で伏せてしまった。その父を救いたいがため、一人でオウムの支配する危険な地に忍んでいき、そこに生息する植物から胞子を採取して、自分の地下室で研究している。腐海の 木の出す毒を5分も吸うと死んでしまうという。命がけの研究。
人間の愚かさが産んだ深刻な環境汚染。そして自然破壊。世界は、腐海という森、そこに住む巨大な虫たちの世界と、人間達の世界に分断されており、人間達はその巨大な虫たちに怯えて腐海の周辺で暮らしている。菌糸は風に乗り、空から繁殖。虫は大地を這うようにして人間の住む国を飲み込んでいく。オウムはその王だ。
人は、戦わないでも、平和はこないものか、という問いの答えを模索する。しかし、いきすぎてしまった人類は、火の7日間戦争をおこし、1000年を経た今も、世界は分断されたままで、世界はどう統合していったらいいのか、見失ったままである。人間のエゴ大地の分裂、光と影の分裂、・・・物語はそこから始まる。

Ⅱナウシカとオウム、光と影。

オウムは、死の森に住む虫たちの王。オウムは一族の誰であろうと、人間達に脅かされたら、それを命がけで守ろうとする。戦いの後、悲しみの涙をながし、悲しみに心の叫び声をあげる、やさしい愛情深い虫の王であった。
しかし、哀しいかな、何度脱皮をしても醜い形?は変わらないし、蝶のように華やかに変身するわけではない。究極のすがたが虫という哀しい運命を背負っている。それも元 はと言えば、愚かな人間が生み出した負の存在の虫にしかすぎない?。

ナウシカは美しい王の娘。だれからも愛される存在。
ナウシカには暗い影がみじんもない。父や村人たちの愛情に恵まれて育ってきたのがよくわかる。しかし、宮崎 駿はいう。「ナウシカを描 くとき、日本の昔の物語にある、虫愛づる姫君という物語の姫をイメージして描いた」と。そういう風変わりな一面もナウシカはもっているようだ。ナウシカは 俗世の恋愛などより、自然を愛し、自然との共生を望む。心優しい娘。

よく見ると、王家には、母親にあたる王妃がいない。兄弟も登場してこない(漫画では、11人 の兄弟がいたが、立派にそだったのはナウシカだけと父がぽつりという)。その暗い影は・・・父の病に象徴されているのだろうかと思わせる。その分、守られ たナウシカは天真爛漫なのかもしれない。しかし幸せはそう長くは続かなかった。今、ナウシカも自分の影と直面する時がきた。

美女ナウシカ。一方のオウムは、野性の本能を生きる野獣に近い存在なのか。男性性(ア ニムス)の影を現す存在のようにみえる。しかし、ディズニー映画の美女と野獣とは明らかに違いがある。その物語は、ある雨の夜、城の門を叩き一夜の雨宿り を乞うた老婆を、冷たく追い払った王子。老婆はそんな王子に対し「愛を知らないもの」は野獣の姿がふさわしいとして、呪いをかけ野獣にしてしまうところか ら始まる。しかし、オウムはちがう、外見は醜いが愛情は深く、命が けで一族の危機を救おうとするし、哀しいときはこころの叫び声をあげる動物である。
そんなナウシカとオウムは、自然と心が通じ、お互いを信頼し交流している。

しかし、ナウシカにはかつて哀しい思い出がある。オウムの幼虫と引き裂かれた記憶があるのだ。ナウシカの両親が娘の幼い頃、薄気味悪いからと幼虫をナウシカから遠ざけたのである。それがどういう風にナウシカの心の傷になっているのであろうか?。
もしかして、それが外傷体験となって、ナウシカの心の中の女性性(アニマ)は幼虫のように野生(本能)のままでストップしているかもしれない。風使いナウシカ、風を切って飛ぶナウシカのアニムス(男性性)はさわやかで、そして勇敢だ。

Ⅲユパとの再会とテトとの出会い。

そんなときテト(雄?雌?)に出会う。人になつかない小動物だが、不思議なことにナウシカにだけはなついた。テトは、オウムに追われていたのを、腐海を越える途中のユパに助けられたのだ。それをナウシカが気に入ってユパからもらった。
ナウシカが尊敬してやまないユパが長い旅をから帰ってきた。ナウシカは久しぶりに再会し大喜び。しかし、この村に留まってほしいナウシ カの願いとは裏腹に、ユパは「又すぐ、旅立ねばならない」という。腐海によって分断されたままの世界。そんな世界がどうなるのか。「自分の旅の目的は、腐 海のなぞを解くことだ。世界が生き延びられるのかどうか見届けたいのだ」と、ユパの思いを聞かされて、これまでは、平和の村の中で生きていければ幸せだっ たが、「ユパ様のその手伝いができたらなー」と心の変化が訪れる。そんな折り、大ばばから、村に伝わる伝説を聞かされる。
大ばばはいう『そのもの、青き衣をまといて、金色の野に降り立つべし。失われし大地との・・・ついに人々を青き清浄の地に導かん。』 と。「ユパは、その勇者を探そうとしているんじゃよ」と聞かされる。その言葉の響きにじっと聞き入っているナウシカの心の目は、新たな旅立ちの方角へと向 かっていた。

Ⅳ風が止み、そして怒りの風、戦いの風が吹きはじめる。

そんな矢先、海からの風が止み、大事件が起こる。
海からの風は、暖かい豊かな恵みをもたらすという意味で母親の良い面を象徴的に現しているともいえよう。その風が止んだ。
眠れる巨神兵を蘇生させ、それを使い腐海を滅ぼし、世界征服をたくらむ大国トルメキア。ある日、そのトルメキアの飛行機がナウシカの村 に墜落。物語が新たな展開をみせ 始める。最悪なことに、攻め入ってきたトルメキアの兵によって父(王)が目の前で殺される。それを目の当たりにしてたナ ウシカは、怒りに我を忘れ、その怒りから、敵の兵士を殺してしまう。はじめて、自らの怒りや憎悪といった感情に直面し戸惑うナウシカ。
怒りに身を焦がすナウシカ。それを押しとどめたのは、その勇者ユパであった。「無念かもしれない、くやしいかもしれないが、今はとにか く生き延びること」と、命を張って伝える勇者。そして村を救うには、たった一つの方法しかないという。戦いとるものではないと伝える。戦いが世界を2分し たという反省から出た知恵であった。その知恵をナウシカに伝える勇者。命がけの仲裁をする勇者の知恵に、ガンジーの非暴力主義を連想させる。打たれても、 反撃しない。海に向かってひたすら行進を続けるガンジーの”塩の行進”。そこには強い意志がある。ユパもまた同様に「復讐は復讐の連鎖を生むだけ。力の勝利では無理」と思う。長く世界を旅して感じ取ってきたのであろう。
オウムも怒りの時は14個もある目が真っ赤に燃える。人間も征服の野望が耐えない。人間の心の中の怒り。ナウシカも我を忘れ時、怒りで人を殺してしまった・・。

Ⅴ受難の旅立ち。

剣士ユパの命を張っての仲裁でもってようやく冷 静になれるナウシカであった。そこからナウシカの旅が始まる。それもトルメキア軍の人質という受難の旅。 父を失い、怒りやかなしみや・・色々複雑な思いを抱いての旅立ち。それはナウシカの 心の旅立ちともいえよう。そんな時、テトが一緒というのがいい。テト のような小さな生き物が唯一の救い。孤独を癒してくれるとてもいい相棒。それだけではない。キツネリス科の小動物というように、その性格は、リスの繊細な 感受性とキツネの用心深さを合わせ持っていると思われる。今のナウシカには必要な要素だ。怒りにまかせて闘いの火の粉に我を忘れないためにも・・・。テト を守りながら、テトに守られながら、テトと力を合わせて試練を乗り切っていくナウシカ。女性性も成長していくのがわかる。

Ⅵ少年アステルとの出会い

しかし、ナウシカの乗る飛行機が、ペジテの上空 にさしかかった時、戦闘機に乗った少年が襲ってくる。少年の名はアステル。ナウシカと同じく、肉親をこの戦争で亡くし、憎悪と怒りを生きていた。怒りの炎 でナウシカの乗る飛行機を打ち落とそうとした矢先、ナウシカの陰に、火にまかれ助けを求める少女の姿をみて、躊躇してしまう。その優しさが逆に、争いの今 は災いし、打ち落とされて、腐海の地に沈んでいく。
ナウシカもその少年を助けようと腐海の地に降りていくが、何とか出会えたのもつかの間、二人共、砂の沼から地下へ落下していく。
アステルという名のこの少年は、別の見方をすれば、ナウシカの分身のようでもあり、ナウシカの心の中の怒りと憎悪の男性(アニムス)像を現しているともいえそうである。

Ⅶ大地の地下 無意識との出会い

二人が落ちた地下。二人の足下には、地上の汚れ とは全くちがい、薄暗く、静かで、あちこちに光が仕込み、自然の大木が林立している不思議な空間が広がっていた。そこに、水が流れ、その水は清く、中に古 木の切り株があちこちと立ち並び、あるいは浮かんでいたりし、あたかも流れる水を浄化しているようで、汲めどもつきない自然の水脈のようなものがあった。
しかし、よくみると、そこは、ナウシカの家の地下室の光景に似ている。そこには、ナウシカが井戸の底から集めた土と、汲んできた水で栽 培した木に花が咲き誇り、不思議な空気が流れていた。腐海の底とナウシカの地下の実験室が、深いところ(無意識の深いところで)で繋がっているという不思 議さ。あたかも、母のいないナウシカが、心の中で求めていたもの(育むグレートマザー)との出会い、心のふるさととの出会いの瞬間であった。今二人が立っ ている所こそ、死と再生の場、母なる清浄の場(母なる子宮。生命の誕生の場)とでもいえよう。ユングはそれを、グレートマザーとか集合の無意識、普遍的無 意識という。
そこで命の源泉に触れた二人は、驚き、そして感動し、ただただ佇むばかりであった。
実は、ユパもその前に、ナウシカの地下室のその光景を見た時、ナウシカこそ、長い間世界を旅して探し求めていた人物、その神話を生きる人であることを直感していたのではないだろうか。
神話の世界では、勇者は男性の姿であるが、ナウシカは女性である・・・その勇者はもしかしたら性を越えた存在なのであろうか。
今までは、核兵器の負の産物としてマイナスの価値でしか見られていなかった醜いオウム。今、ナウシカが自分の家の地下で発見したものと同じく生命を育む再生の場を、目にしてはじめて、実はオウムこそが、その池を住処にし、地下の汲めどもつきぬ水脈を守りながら、大地の再生を願っていたと いう事実を知って驚き、オウムや虫たちの本当の存在意義を実感する。
ナウシカが光の面とすると、オウムは影の面を現し、別々の世界で生きている二人(光と影)が、同じ時に、年月をかけ同じ物を命がけで守っていたことになる。ユングはそれを共時性と呼んでいる。
何故オウム達と生きねばならないか。ナウシカが無意識に求め続けていた”共に生きる”という意味がはっきりした瞬間であった。

心の旅の中で、逞しくなっていく二人。あたかも、母の子宮の中で滋養を得たかのよう に、二人の心から、怒りや悲しみ、憎悪といった感情が次第に消えいく。もしかしたら、その少年はナウシカの兄たちの身代わりなのかもしれないと思えてく る。いよいよ青年期にさよならの時かもしれない。
今、まさにナウシカにとっては、腐海の謎が解けた瞬間でもあった。それは・・・ユパが長年をかけて世界をめぐりながらやり遂げようとしていた人生のテーマでもあった。

感動を胸に、ペジテの国に着いた二人は、その国の市長から、驚きの事実を聞かされる。
巨神兵を利用して、トルメキアを滅ぼし、一機にオウムの群も抹殺しようという企てが、すでにすすんでいるという。オウムの存在意義など 耳をかさない人達。ナウシカの村には残念ながら犠牲になってもらうしかないという。慌てるナウシカ。村の救出に急がなければならない。その時、「人質の身 代わりになる」とアスベルの母がナウシカの前に現れる。そのやさしいまなざしを見た瞬間、ナウシカは幼い頃死に別れた母の面影を感じ、思わず「かあさ ん・・」と小さくつぶやくナウシカ。アスベルの母に抱きしめられ、励まされ、気持ちを新たにする。そして、交換した赤い衣服を着たナウシカ。今のナウシカ には赤がピッタリくる。少女のナウシカの女性性は・・・今、もうすっかり赤が似合う。ナウシカは、その服を着て、大地を、世界を、つなぐという大きな課題 へと向かう。

Ⅷ新たな旅立ち 死と再生 神話を生きる。

アスベル(アニムス)に別れを告げ、これから先 は、ナウシカ一人でやり遂げねばならない(もちろんテトは一緒だが)。村に向かう途中で、オウムの子が殺されかけているのを見て嘆きかなしむナウシカ。こ れ以上、殺戮はいやだと殺し合いを避けながら、必死の思いで、幼虫を助けるナウシカ。しかしその時、瀕死の重傷を負ってしまう。ナウシカの優しさに命を救 われた幼虫が逆に、息絶えようとしているナウシカの傷に触手で触れ、傷を癒してくれたのだ。その手当のさいナウシカの赤い服を染めたオウムの子の血は・・ 青い色をしていた。
青く染まった服をなでながら、「肌になじむ、なにかなつかしいような、不思議な感触」とつぶやく。その感触は、忘れもしない幼い頃の記 憶、染みついた親しい友、親しい幼虫の感触だったのだろう。青は清浄の色、しかし・・・ナウシカの衣のその青は、幼虫の命の息づく血の色でもあり、同時 に、人間の野望の犠牲の血のりの色でもあった。
青から赤へ、そして今、再び青い衣、しかし今の青は・・清濁あわせた青い色。それを懐かしむナウシカに、 何とも言い難い不思議な感動を覚えた。
たとえ血の色がちがっても、ナウシカには同じ血の仲間とうつる。アニミズムの息づかいとはそういうものなのだろうか。

そんな青い服を着てナウシカは、村へ、怒り狂い進軍するオウムの元へと急ぐ。「早くオ ウムに返そう」、そう願うナウシカの心は、自らが、子を思う母のような心だったに違いない。見方をかえると、今ナウシカは心の中で母を生きているといえよ うか。思えば母の登場は一度もないが・・。

ナウシカの村のすぐ前まで進軍してきたオウムの大群の前に、幼虫を運んできたナウシカ が降り立った時、オウムの激しい怒りの一撃で、ナウシカの身体は高く吹き飛ばされオウムの群の真ん中に落ちて、動かぬ人になってしまった。そして・・静か な時が流れていった。オウムの群の中心に静かに横たわるナウシカ。それはまるで、曼陀羅を連想させるような光景である。明け方近くになり、オウムの群にも やがて変化が起きてきた。オウムの怒りが静まったのだ。ナウシカの思いが伝わったのか、オウムは自らの無数の触手を伸ばしながら、ナウシカの身体を包みこ んでいく。ナウシカの身体が宙高く舞いあがり、あたかも輝くその触手が、黄金の草原のように風にたなびき、その触手がナウシカのたましいに触れた時、ナウ シカの身体がゆっくりと起きあがりその草原の上を歩きはじめた。

それはまさに、大ばばがかつて『そのもの、青き衣をまといて・・・失われし大地との きずなを結び、ついに・・・』と予言したとおり、汚れて、死にかけ、分裂した大地を、青い衣のナウシカが、その死と再生をとおし、統合していく光景そのものであった。

オウムがナウシカを賛美するかのような光景は一体何を意味するのであろうか。影が光をたたえるということは・・・・死者が生者を支えるということなのであろうか。
もしかして、永遠の虫オウムが、これまで醜い負の存在と見られてきた傷が、今まさに癒され、本能的な怒りが消えていく瞬間であったのではないだろうか。あるいは、自らが傷つくことでしか、他者を癒せないことを意味しているのであろうか。
今、はじめて虫たちの世界と人間の世界の和解がなされようとしている。大ばばのいう、和解と、死と再生を通して、大地の統合がなされようとしている。
主人公ナウシカからみると、ナウシカの心の中にオウム(影)が統合され、ナウシカ自身の死を通して、神話の中の世界の勇者として再生し ていったものと思われる。今のこの時をもって、光と影を統合した勇者は、男とか女とかいう性を越えた存在として、未来へと解き放たれた神話の中で、生き続 けてゆくことだろう。

Ⅸ最後に

たとえ大地が汚れて分裂していても、たとえ長い間の光と影の分裂があっても・・自然と人間の、人間同士の共存は・・・争わずして・・可能だということを神話の知恵が教えてくれた。
この物語のテーマは、自然と人間との”共存、共生”といってもいいだろう。それが今後の人類の大きなテーマかもしれない。この物語の漫 画版では、共生に続いて、さらに ”共死”という テーマが中心になっているように思える。それは、また次の機会に纏めてみたいが、それにしても、ナウシ カはやはり素敵である。そしてその魅力は色あせない。
物語の最初、誰も足を踏み入れないような暗い原生の死の森に、一人ナウシカが降り立っている場面がひろがる。その地下深くに実は、豊か な命を育む水脈が流れているということをそのナウシカが発見してくれた。安堵感と同時に、人々の心の中にも、その地に降り立つナウシカのような存在者がい ると思える時、かつて息づいていた神話の世界やアニミズムの息づく世界と、我々の心がどこかでつながっていくということを感じさせてくれた。素敵な物語だ。